杉浦 優貴

杉浦 優貴Yuki Sugiura

1990年、岩手県生まれ。2012年に埼玉大学を卒業。集英社スタジオ勤務を経て、片村文人氏に師事。2023年9月に独立。

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Gallery Egaraの冬

カムパネルラの涙

Two Sunsets

ただの夏

車で迎えに行こうと思った。
窓から吹く風は、気持ちが良かった。

necromance

霧が深い日には、たいてい熱が出た。

トレイシーの顔

生きがいは確かにある。
たとえば何か。

冬の星に生まれたら

死者は星になる。
だから、きみが死んだ時ほど、
夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、
その事実がとても好きです。
いつかただの白い骨に。
いつかただの白い灰に。白い星に。
ぼくのことをどうか、恨んでください。
(『望遠鏡の詩』最果タヒ)

高校2年の冬、わたしは受験勉強にいそしんでいた。と、いうのはフェイクで、盛岡駅のちかくの当時新築の豪奢な図書館で、現代詩手帖を毎週読み漁っていた。その頃新進気鋭の新人で、中原中也賞を受賞されたばかりの最果タヒさんは、わたしの中では稀代の文壇スターだった。
いつものように勉強はそこそこに現代詩手帖を読んで家に帰宅した日の夜、夜中に緊急の電話を受けた。実家の電話機は(驚くことに)黒電話だったので、闇夜をつんざくようなベルの音で、皆は目を覚まし、居間に集まった。居間の蛍光灯がきゅうに薄暗く緑に見えたのを覚えている。なんでもいいからと適当な洋服で、ピーコートを引っ掛け、父の運転で医大に向かった。
特別応接室のような真っ白の部屋は意味ありげに広く、ベッドはいやに部屋の片隅にあった。叔父は、そのベッドに横たわっていた。大動脈破裂、と、医者の声がした。医者は近くに居るのに、随分遠くから聞こえる気がした。大人があんなに大きな声で咽び泣くのを初めて聞いた。わたしたちは、部屋の隅の壁沿いに座り込んで啜り泣いた。子どもらしくない泣き方、と思った。壁からは、消毒液の匂いがした。17年経った今も、不思議と鮮明に思い出せる。

叔父が亡くなって数日間、わたしは学校を休んで家の手伝いをした。夜になると、きょうだいで叔父の部屋に布団を並べて眠った。なんとなくまだ近くにいる気がしたから。わたしは叔父に対して、一方的に、恋愛に似た慕情のような思いが無意識下にあったと記憶している。わたしやきょうだいたちに、全く知らない新しい世界を教えてくれた。アート・ブレイキーとジョン・コルトレーンの偉大さ。スティーリー・ダンのレコード。休日の洗車の素晴らしさ。ユニクロの革新性。タイの旅行での思い出。MacのパソコンとiPod shuffle。ドラゴンクエスト5のバグ技。親しみやすいけれど壁を感じた瞬間もあった。過去は語らなかった。どうして聞かなかったんだろうと思って、押入れから探し出した日記をめくりながら、生まれて初めて、誰かを失ったなと思った。他の親戚や家族が亡くなったのとは、少しだけ、違っていた。

火葬の前日あたり、当時付き合っていた男の子からわたしを心配したメールが届いた。オレもおばあちゃんを亡くしたとき辛かったから気持ち分かるよ。元気を出して。というような内容だったと思う。見当外れの励ましに、男の子ってマジで分かってないなと思って、やさしい涙が出た。
叔父が天国で何をしているか、毎日考える。
付き合っていた男の子がどうしているかは、こういう青空の日は、ごくたまに、考えたりもする。

冬由は森の中